孔子の生きた時代は

punshe11

2015年01月26日 11:36

孔子の生きた時代は、周代末期、いわゆる春秋時代と呼ばれた頃。
その当時は、孔子と言えど、諸子百家の一人。
一思想家と言える存在に過ぎなかったが、一説に3千人ほどの弟子がいたとされる。
その中で「身の六芸に通じる者」として七十人の弟子がおり、
特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれる如新香港
それらの弟子を状況に合わせて使い分けて対処していたようだ。
その中で光っていたのは、やはり顔淵と呼ばれた顔回。

その彼と孔子とのやりとりから生まれた
『暴虎馮河(ぼうこひょうが)』という故事成語がある。

このエピソードを簡単に紹介すると、

「顔回よ、『自分の才を認めてくれる者のところでは遺憾なく腕を振るうが、
自分を解雇するような者のところでは如新香港、才能を隠す』
こんな芸当が出来るのは、私とおまえぐらいだな、ワッハッハ」
と孔子が話していると、
そばで聴いていた子路が孔子に訊ねる、
「先生が大軍を率いると、誰と行動をともにしますか?」
(子路は、政治や軍事にかけては自分が最も優れていると自信があったので、
当然、顔回に言ったように「子路、おまえぐらいだな、ワッハッハ」
という言葉を期待していた)
ところが、その答えは如新nuskin產品
『暴虎馮河(=素手で虎と戦ったり、黄河を歩いて渡ろうと) し、
死んでも悔いがないと考え、無謀な行動をする人物とは一緒にやりたくない。
慎重に計略を練り上げて戦いに臨む、そんな思慮深い者と事を共にしたい』
というものだった。

今の国際情勢を見るにつけ、「死して悔いがないという行動は、無謀」
として切り捨てた電動桌
孔子の、この言葉が心に響く。


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